刃物に興味をもったのが小学1年生の頃に朴の木で削って作る飛行機のソリッドモデルを削るのに、切出しを買ってもらって自分で研いで使っていたのが始まりです。(ゼロ戦とか隼戦闘機とか削って組み立てていました。)刃物の鋼の良し悪しは全く分からずでしたが意外とよい切出しだったらしく、よく削れました。後日福島に赴任した33才のときに模型屋さんで買った切出しの刃がポロ欠けするのに仰天して刃物の大事さに目覚めたわけです。
昭和37年に中学1年生のとき、父方の祖母が亡くなって片身分けのため終戦後叔父がバラバラに折って米軍に渡されなくしてあった江戸時代の名刀がバラバラのまま実家に持ち込まれたのをみて、刀身の美しさに驚愕して非常に強い印象をうけました。「刀鍛冶になりたい」と父親に言ったら「3才ぐらいから職人の訓練をしないとものにならないよ」、「食えない仕事だからやめなさい」と諭されてあきらめましたが、当時日本刀ブームで長野の宮入行平さんが人間国宝になって刀に大注目の集まった時代であったことも強い影響を残しています。現在東京の吉原義人刀匠の通いの弟子で修行中なのも故なしとはしません。
医学部を出て25才のとき基礎医学の病理学講座に入って形態学の道に入りましたが、その頃はミクロトームメスという長さ25㎝ぐらいの断面長三角形の大きな刃物の刃を研いでパラフィンに包埋された組織の切片を厚さ3μぐらいできれいに傷なく切らねばならず、ミクロトームの鋼の硬さと靭性や研ぎの完璧さなどにあらためて目を見聞かされた経緯があります。
その頃連続切片という数100枚の切片を切らねばならず、研ぎに難渋していました。刃物の鋼と研ぎの困難さにウンウンいいながら岩崎航介さんの「刃物の見方」という本を読んで、鉄の変幻自在の変化の妙を知り、ますます刃物に興味をかきたてられた訳です。
「刃物の見方」には、たとえば「セメンタイトの球状化」という概念がありますが、刃物の刃のポロ欠けはセメンタイトというFeC₃の部分が非常に硬く線状に多角形を成形成してつながっていると、その線の部分でポロ欠けが発生する ということが分かっています。鉄のT1変態点727℃よりも少しだけ上の温度で鍛造するとこの線状のセメンタイトがバラバラにこわれて、微小粒状となりポロ欠けしない刃物となります。これをセメンタイトの球状化といいます。つまり鍛冶職の腕が刃物の性能に直結していることになり、非常に面白いと思いました。「セメンタイトの球状化」というのは熱処理によっても可能でT₁変 点直下100℃ぐらいで鋼を長時間保持してゆっくりと冷却しても達成できます。当社ではそのバリエーションとして735℃と680℃の間を変動させることを数回行ってより球状化しやすくしております。表面脱炭がおきないように炭の粉の入ったステンレス缶を2重にして密閉して刃物を詰めて球状化しております。